| 『大坂軍記』道明寺の戦い 「真田が人数は鉄砲の筒先を並べて伊達家の先手なる片倉小十郎石母田大膳等の人数を目掛けて放ち出し又槍を突入れたり。伊達家の騎馬鉄砲八百挺は其家中の二男三男を選み仙台駒の中にて最も勝れたるを選び出し、馬上より鉄砲を放させけるに百発百中。一つも中らざるはなく玉の飛ぶこと宛然(さながら)雨霰の如く、黒煙天地を覆って咫尺(しせき)も分かぬ。其中に真田幸村は松柏を楯となし兵士に槍を取らせて平伏させ、足軽の討ち倒さるるも顧みず静まりかへりて音もせず。伊達家の馬を駆け入れんとする所を槍を構へて支へけるにぞ、伊達勢しば躊躇(ためら)ふ程に砲声も絶え絶えになり煙も少し薄らぎたり。良き機会(しほあひ)と見て真田勢大音を上げ「懸かれよ者出で」と采を執りて指揮しけるに・・・・伊達勢も一時押崩されまた誉田の街へ引あげし・・・陸奥守政宗は這々の体で小姓共二三人を召し具し伊達組の人数の中へ逃げ込みたり」・・・松平忠輝が追撃の馬印を立てた所に「伊達政宗、片倉小十郎を使者として不案内の敵地と言い日既にに昏(く)れなんとするに追討ちせんとは宜しからず。ご遠慮ありて然るべしと止めける」 2010年1月7日の「歴史秘話ヒストリア」でやっていましたが、西部劇の騎兵隊のように走りながら射撃するのは間違い。停止して一斉射撃の後抜刀突撃です。『伊達治家記録』にも書いてある。 |