| 『古老茶話』:国学者柏崎永以(1772没)の戦国時代から江戸時代中期までの武家事跡・逸話をあつめたもの。随筆大成六巻所収
一 兼松又四郎は長命の人にて大猷公(徳川家光)御代まで居り候。ある時・・能を見物ありし時、いかがいたしたるや伊達政宗、又四郎が側を通るとて袴腰を踏み越え候時、又四郎ながらへず政宗をとらへ、慮外千万な、士の腰を踏みこえたるとて横面をはりたる也。その時政宗莞爾と笑い、打って腹だにゐるならばいくらも打てよ犬坊よと笑い去たると云。 一 政宗は惣じて心底おそろしき横着者なり。それゆへ太閤にも荒立てさせず、権現様(徳川家康)にも渡りよく、身上を持ち続け来るなり。大猷公ひたもの、小菅そのほか、泊鷹野に御出候時、御前にて政宗、かならず泊鷹野は御無用に遊ばさるべきに候、私さへ三度までねらひ奉り候、と申し、げにかはとて其後泊鷹野止めたると也。これみな嘘なり。その時の老中の内存をさとり、畢竟少人数にて度々はいかがといふ所を、すぐばけ(直言)に身を落としての意見だて也。かようなるすぐばけにて、怖きおやぢと人々いひながら大猷公のこしをぬかしたる也。
一 政宗公臨終の前・・・大猷公彼宅へ成せられ候とき、義経、(藤原)秀衡に臨終御暇乞の格に仕度よし申して・・・惣領遠江守秀宗、次男陸奥守忠宗等一族の面々、錦戸和泉守(西木戸太郎国衡、和泉三郎忠衡)などになぞらへて列させ、自分は枕の元に肩衣を置きて御目見いたしたると也。無双の手者也。
一伊達左京大夫政宗臣下 中務儀宗 遠藤山城基信 亘理美濃重宗 信達(しだち)兵庫元安 大條尾張実綱 大河内備前定綱 冨塚内蔵信綱 遠藤孫六基綱 山城基綱 伊達藤五郎成実 伊達兵九郎成重 伊達兵庫元安 桑折点了不林・俗名攝津守政長 中島伊勢長宗 北岡志摩主水 泉田安芸重元 白石若狭宗玄 原田左馬宗長 湯目刑部信康 (?↑片倉小十郎景綱が出ていない)
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